43.【訴、「居場所」の共有】
♡ 明るさを感じられるのは、心が残っているから。
国際医療福祉大学大学院教授の亀口憲治先生は、
『傾聴とは、
ひたすら耳を傾け、共感をもって受け入れること。
訴えを言葉にできず、沈黙が続いても、そのまま受け止め、
その沈黙で何を訴えようとしているかを読み取る。
一見受け身に見えるが、その受け身的な姿勢により、
誰にも言えなかった心の屈託や悩みを、
徐々に打ち明けられるようになる。
つまり傾聴の本質は、何かを相手に与えるのではなく、
相手の自己回復や自己治癒の力を、
最大に引き出してあげること』であると、
言っておられます。
私は、病気になるまでは、ある相談員をしており、
その研修のなかで、このようなお話を、
何回となく、色々な方から教えを受けました。
確かにそのとおりで、相談者は答えを求めるのでなく、
訴えを聞いて欲しくて来られており、
場合によっては、その解決の糸口をお話しするだけで、
満足される方が多かったように思います。
そして、病気になった今、
その教えは、やはり正しかったと思います。
苦しいことや、痛いこと、体や心のストレスを
聞いて欲しい、
「生きていること」を認めて欲しい、
「生きていてもいいんだ」ということを、認めて欲しい。
そんな居場所を共有して欲しい。
そう、心底から欲しているんです。
折角、聞いてもらったからと言って、
病気が良くなるわけじゃない。
聞いていただく方には、ただただ迷惑そのものでしかない。
そういうことも重々理解しているつもりです。
その上でのお願いなんです。
それで、「気」は治るんです。「心の病は」消えるんです。
「訴える」「聞く」この相互関係について、
朗報がありました。
問題解決の話し合いは、相手と戦い攻撃をするのではなく、
お互いを理解し合うこと、お互いに同じ方向を向くことです。
トヨタ自動車労働組合が、始めようとしていますね。
労働条件の改善には、経営側との対決姿勢を見直し、
労使で議論を深める必要があると判断して、
春闘での組合員の団結を呼び掛ける大規模集会を、
取りやめる方向で、調整しているということです。
よくよく考えると、
当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、
長い間、団結して戦うという方法を使い、
非生産的な行動を、取って来てしまったというわけで、
この非生産の時間とコストを、有効に使うべきです。
今後、このスタイルが、どんどん広がっていく
ことでしょう。
追記:(本音)・・・
戦わない方が良いのは、心が健康なときで、
心が迷っている時は、時と場合によっては、
戦わないと無くなってしまうこともあるんですね。
一体どっちなんだ? と言われるかもしれませんけど、
そんな優柔不断なところが病なんです。
そんな時は、遠慮なく戦ってしまいましょう。