癌と付き合う Simojiさん(折々の想い)

お役に立つかどうかは分かりませんが、折々の想いを

918-2024/03/11

 

 フ~、フ~と言いながらも静かです。まったくもって低レベルですが、フラットに過ごしています。「まあ! こんなもんでしょう‼」と、ルーティンの低さを素直に受け止めています。

 

 あまり高望みをしない方が、生きるにはベストだと思うのです。上を向けば切りがありませんが、こう受け止める方が気が楽なのです。それで良いではありませんか。

 

 これが、『病と付き合って行く』という意味なのでしょうか。だとしたら少し悲しい面もありますが、現実を見れば、低くてもフラットの方がベストだということだと思います。

 

 さて、今日は3、11、午後2時46分、13年目が過ぎました。改めてご冥福とお見舞いを申し上げます。当時、あのビルの屋上にあった冷暖房機の屋外機が、ガタガタと揺れ、今にも落ちそうな光景を覚えています。そして今、千葉県沖で『スロースリップ』が起きています。

 

 もしも、大地震が起きたら、私は生きて行けるのだろうか。被災回避、避難所での生活、生活再建、それを考えると「きっと無理だろうな~」と悲観してしまいます。

 

 無理を無理で無くすには、災害に合わないことです‼ でもそれは無理なことで、災害は必ずやって来ます。・・・前もって出来ることは何だろう⁉

917-2024/03/08

 

 生きるためのエネルギーって、とてつもなく大きいものなんですよ。でも、若かりし頃はそんなこと感じませんでしたし、考えても見ませんでした。

 

 ところが、歳をとるとともに、だんだんその重圧を感じて来るんです。生きているだけで、身長も縮むほどの重みがのしかかって来るのです。

 

 ましてや、病に侵されると、更に別の戦うエネルギーにも支配され、持ちこたえるのがやっとになります。持ちこたえられなくなったとき・・・

 ・・・それは止めておきましょう。

 

 とにかく、息をするのが精いっぱいで、とてもつらいものがあります。

 

 最近、朝が起きられません。寒さのせいもあるのか、ダルクて体が動こうとしないのか、とにかく起きるのがカッタルイのです。時間が掛かるのです。

 

 起きてしまえば何とかなるのですが、それまでが大変で、一つ一つの行動がカッタルク時間が掛かるのです。まず目を開ける。そして部屋の電気を点ける。テレビをつけて頭を目覚めさせる。フ~~ッとため息をつく。そしてそのまま動けない。

 

 しばらくして、全身に力を入れお脳に指令を出して、むっくりと起き上がる。起き上がってそそのまま布団の上に突っ伏す。これは一仕事やり遂げた自分への褒美だ。

 

 そして、全身の力を振り絞り布団をはねのけ、一歩一歩ベットから足を下ろして起き上がり、着替えを取ってベッドに座り、ゆっくり、ゆっくり着替えをし、再び褒美のため息をする。

 

 それから、雨戸のシャッターを開け、ヨタヨタと定位置の椅子に座り込む。その間一時間余り? それでもやっとの朝起きです。何と言ってもカッタルイ‼

 

 「毎朝こんなんでいいのかな~」なんて思いますが、これが精いっぱい。これが私の朝のルーティン。 ・・・い・か・が⁉ ・・・これが私の一週間目‼

916-2024/03/03

 

 先週の金曜日、外来診療に行って来ました。まず、採血、次に皮膚科、ここは予約をしていませんので、診てくださる先生がその時により変わります。

 

 先生が変わると、微妙に診察の結果が異なります。異なるというよりは、その時の症状が違うということなのかもしれませんが、自分で手当てをした方が良いのか、その方法では効果がないとか、多少のニアンスが違います。

 

 前に出ていた軟膏は殺菌剤なので、今の症状には合わず、なるべく絆創膏も貼らない方が良いとのことでした。2週間、抗癌剤を休んだせいか、多少、潰瘍のような症状も良くなったことから、消毒薬や絆創膏もなるべく止めることにしました。

 

 「手足の症状は抗癌剤のためと、諦めている」と、話したところ、「そんなことはありません、その時その時の症状により、良なるよう最善の治療法を考えますから。そうでなかったら、医者の役目をしませんから」とおっしゃってくださり、何だか元気が出るお言葉でした。

 

 次は、眼科です。眼科は特に変わった症状は無く、目薬をいただきました。

 

 次は、外科。元気をいただいた先生は移動になるとのことで、お礼を言って帰りました。外科の結果は、多少、腫瘍マーカーの値が上がっているものの、誤差の範囲とのことでした。

 

 これからも抗癌剤に苦しめられながらも、マダマダ生きられそうで、嬉しいやら辛いやらですが、頑張ろうと決めました。・・・それが一番いいと思えるからです‼

 

 お昼は回転寿司に行きましたが、いつもより3皿も多く食べることが出来ました。

 

 ・・・やっぱり、病は、気からなのでしょうね。気で、良きも悪しくもなってしまいますから‼

915-2024/02/28

 

 休薬をしてから、もう少しで2週間がたちます。久しぶりの2週間ですから、かなりの回復を期待していましたが、あまりそういった症状の違いは見られず、少しがっかりです。

 

 手の平や、足のかかと、それに口内炎の痛みは相変わらずに痛みますし、倦怠感や歩行の仕草も良い方向には向かず、投薬中とあまり変わった様子は見られません。

 

 そんなこんなで、少し環境を変えようと思い、愛孫日記の次男坊の1年分をまとめようと始めましたが、なかなか進みません。

 

 それでもプリントだけは終わりました。あとは穴をあけて表紙を作ってファイルに閉じればお仕舞いです。これで一仕事が終わります。誕生日でまとめているのですが、随分、過ぎてしまったので、これで一安心です。

 

 ここのところ散歩も億劫になり、サボっています。もう少し暖かくなったら、また始めようなんて思いますが、足は痛いし少し歩くと息が切れてしまい、いざ始めようと思うと、きっと、我がままが勝ってしまうのでしょうね。

 

 そうだ! 近くに桜土手がある。あの綺麗なソメイヨシノを見れば、その後も続くのかもしれない。なんて勝手に思っていますが、本当に続きますかどうか?

 

・・・でも、精神的にも刺激になることは間違いないと思います。何と言っても、梅、桃、桜は春を告げる風物詩ですからね。何とか期待したいものです‼

 

 そうそう、そう言えば、ドジャースに移籍した大谷選手、オープン戦でホームランを打ちましたね。また楽しみが始まります。当然のことかもしれませんが、おめでとうございます‼

914-2024/02/23

 

あの~~~ 実は~~~

思ったんですよ 涅槃寂静の世界のこと

 

やっぱり、ありはしませんよね

物質的にも 娑婆の世界にも

 

でも思うんですよ もしかして

念じ切れば 想い越せば

 

ここには無くとも あそこには有る

現実でなくても そう思える世界が

きっと安げるんだろうな~ 安堵の世界

 

でも、そこに逝ったら 娑婆に戻れるのだろうか

もしも戻れるとしたら 居たいな~~~

ずっと・・・ ずっと・・・

 

 最近、こんなことを、ついつい考えてしまうんですよ。

 考えてもどうにもならないことは、分かっているのですが、身体が、心が欲するのでしょうか?

 

 心にも、身体にも、色々、負担をかけているわけで、そういう点では申し訳けなく思うのですが、やはり、追い込まれているのでしょうか。・・・少し心配です。

 

 でも、まあ、現実としてはぐずぐず悩まずに、おかれた立場を否定せず、おかれた立場を笑い飛ばし、パ~~~ッといきましょう‼

 

 ・・・それが一番、楽かもしれませんから。

913-2024/02/21

 

ちり一つ無い 静寂な世界

そこは涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の空間

 

そんな世界の中に 身をゆだねたら

どんなに安まれることだろう

 

痛みも苦しみもない世界

そんな世界に身をゆだねたい

 

そう思うのは 私だけだろうか

そう思うのは 夢の世界なのだろうか

 

 ところで、今日で服薬明けから4日目。大分、楽になりました。ここまで来ると頑張れるような気がします。

 

 あちこちの用事を済ませ、買い物にも行って来ました。お八つ様にバームクーヘンの小分け入りを買ってきました。

 最近、和菓子やチョコレート菓子、さらには煮物などの甘さがきつくなり、食べるのに難儀をしていましたので、ちょうど良い加減のお八つが手に入りました。

 

 これも、副作用のせいなのでしょうか? それとも意地汚さでしょうか? だとしたら、喜ばしいことなのでしょうか?・・・それは私の思い込み次第⁉

 

 思い込みで、痛みも苦しみも無くなるのだとしたら。そんな世界を選びたい。

 

 ・・・そんな世界に乾杯‼

912-2024/02/15

 

 後、二日、後二日経てば、抗癌剤の服用は一旦休みになります。今回は、定期検診日が祭日になるため、2週間のお休みになります。久しぶりの長期?休みなので、期待しています。

 

 ですが、後、二日なのに、体調は、ちょっと限界ぽくなりました。ダルイのです。動き始めれば何とかなるのですが、お脳から身体への指令がままならないのです。

 

 普通は、アッと言う間に体の隅々まで、それこそ光のごとく指令が行き渡り、指令と同時に体が動くのでしょうが、私の場合、指令と体の動きの間に、カッタルイという時間が横たわり、何と言えない時間をウロウロしているようです。

 

 つまり、指令、カッタルイ、体の動き、というような一連の行動になっており、とっても長い時間を費やすのです。

 

 この行動が、一日を取っても短くしているのです。もう、ときめき云々何ていう言葉は途轍もない空間へすっ飛んでしまったようです。

 

 で、思いついたのです。1日を長く感じるためには、カッタルイを吹っ飛ばすことだと思ったのです。カッタルイを忘れることだと思ったのです。

 

 ですが、そうは思っても、所詮、思いは思いだけで、一向にカッタルイは付きまとっています。・・・ナンジャイナ‼