477【やっぱり、変ですか?私‼】
♡ 今日は雨です。それも全国的に雨です。
そしてまたもや山が消え、色が無くなりました。そんな鬱陶しさがまとわりつくと想うのです。
『苦しい時の神頼み』・・・これは、
「普段は信仰心を持たない人が、病気や災難で困ったときだけ神仏に祈って
助けを求めようとすること」と、言われます。
・・・ところで、どんなに自分勝手な族でも、どんなに不埒な族でも、
そんな族たちの頼みを、神仏は聴いてくださるのでしょうか?
その前に、自分勝手な奴とか不埒な奴とか、いったい誰が決めるのでしょうか?
それは誰にも決められません。・・・きっと自分自身の判断に委ねられるのでしょう!
自分で決めるとなれば、・・・
きっと自分勝手な奴も不埒な奴もそうではなくなるわけで、
そうなれば、どんな人の願いもきっと聞いて貰えることになるのかもしれません。
ですが、この話には“きっと”という決意や確信、また強い要望が付くわけです。
困った時、苦しい時に、人や神仏に頼るのは決して悪いことではありません。
しかしながら、ただただ頼っただけで、困ったこと苦しいことが解決できるのかと言うと、
・・・それは、甚だ疑問であります。
そこから抜け出すことが出来るのは、一に努力、二に努力・・・のみであります。
そうであるならば、・・・
神仏の前で合掌するのは、お願いするのではなく、決意、誓いの類にしたいものです。
では、『朱に交われば赤くなる』・・・その通りで、
「人は環境や他人によって多大な影響を受ける」、「人は関わる人物や置かれた環境に
支配されてしまう」などの意味だと言われます。
これは、朱によって赤くなる・・・
つまり、交わるときに自己の色は無いことが前提になっているわけで、
そんなことは現実にはありえない。しかもまったく抵抗をしないことが前提なのです。
・・・つまり、朱に交わって化学反応が起こった時には、もっともっと多種多様な
万華鏡やミラーボールのように、カラフルなキラキラ色に輝くと思うのです。
・・・そうでなければ、交わる意味がありませんから!
ン~~~ん‼・・・やっぱり私の根性って変?・・・ですかねぇ⁉
でも、時と場合によっては、そういうところがあっても、いいんじゃないかと思っています‼