904-2024/01/17
今日は、毎日の副作用は別として、何となく体も楽だし、ダルさもさほどでもないことから、買い物に着いて行きました。
グタグタ愚痴を言っていると、モヤモヤが吐き出され、さっぱりするのかもしれません。
仕事にしても、世間付き合いにしても、『愚痴』を言うと、冷静にもなり自己分析も出来、元の自分になれるような気がします。
現実的に、気が滅入っているときに、『愚痴』を吐き出すと、何かさっぱりして、気分的にも楽になることが、多いのに気づきます。
そんなわけで、どちらの自分が本当なのかは別として、大いに愚痴ろうと思います。まあ、愚痴を言っている時が、『本音』で、冷静を装っているときが『建前』のような気もしますが、それはそれでどちらでも良いことと思います。
『愚痴』を言って気が晴れるのなら、誰にも迷惑をかけるわけでもなく、お金もかかるわけでもないので、自由に大手を振って言うべきだと思います。
『愚痴』を誰かに向かって行っているときは、聞かされる者にっとっては、それなりに迷惑なのかもしれませんが、それはそれとして、「ああ、大変なんだな」とかわしておいてください。
そんなわけで、私は『愚痴』を大いに言うことによって、自分をコントロールしているのだと思います。どうか、大きな心で「聞き逃し」てやってください。
それにしても、こんな時に、とんでもないシッチャカメッタカなことをしていても、支持率が上昇しているなんて、『愚痴』だけでは済まされませんね。
何で、近頃の若い人たちは、「怒らない」のでしょうか? ・・・これは老人の『愚痴』であります。失礼‼