246.【何でもかんでも、求めるのは?】
♡ 捕まえられるか、捕まるか、メリットもデメリットも天地返し?
見える化、透明性、説明責任という言葉の基に、
何でも知りたがる。
自分で知って、自分で確かめ、自分で納得する。
実に素晴らしいことです。
今では、これらのことをするのが、
当たり前だというように理解されています。
しかし、果たしてそういう考え方は、正しいのだろうか?
何でもかんでも「見える化」する。「透明化」する。
このためには、
とてつもない“労力”と“経済力”が、必要になります。
特に、「見える化」した結果が、
ごくごく一般的な人々に、理解できない高度の内容で、
もしも理解できたとしても、
それが“経過”という事柄のようなものであったら、
それがいったい何の役に立つのか?
ということになってしまいます。
ものを言う時、ものをする時、
何をどこまで考える必要があるのか?
「何でもかんでも」や「人力とコスト」を、
ないがしろにしていいのか?
そういった境というか、
限界があってもいいのではないかと思います。
何でもかんでも知りたがるのは、
そういったデメリットも背負いこむ覚悟をしてから、
言う必要があると思うのです。
・・・こんなふうに考えては、いけないのでしょうか?
「見える化、透明性、説明責任」という行為には、
求めれば求めるほど、
多くのコストが必要になるからであります。