癌と付き合う Simojiさん(折々の想い)

お役に立つかどうかは分かりませんが、折々の想いを

246.【何でもかんでも、求めるのは?】

 

f:id:simojisannoomoi:20200913203700j:plain ♡ 捕まえられるか、捕まるか、メリットもデメリットも天地返し?

 

 見える化、透明性、説明責任という言葉の基に、

何でも知りたがる。

自分で知って、自分で確かめ、自分で納得する。

実に素晴らしいことです。

 今では、これらのことをするのが、

当たり前だというように理解されています。

 

 しかし、果たしてそういう考え方は、正しいのだろうか?

何でもかんでも「見える化」する。「透明化」する。

 このためには、

とてつもない“労力”と“経済力”が、必要になります。

 

 特に、「見える化」した結果が、

ごくごく一般的な人々に、理解できない高度の内容で、

もしも理解できたとしても、

それが“経過”という事柄のようなものであったら、

それがいったい何の役に立つのか? 

ということになってしまいます。

 

 ものを言う時、ものをする時、

何をどこまで考える必要があるのか?

「何でもかんでも」や「人力とコスト」を、

ないがしろにしていいのか?

そういった境というか、

限界があってもいいのではないかと思います。

 何でもかんでも知りたがるのは、

そういったデメリットも背負いこむ覚悟をしてから、

言う必要があると思うのです。

 

 ・・・こんなふうに考えては、いけないのでしょうか?

見える化、透明性、説明責任」という行為には、

求めれば求めるほど、

多くのコストが必要になるからであります。