208.【あなたの想い、私の想い】
♡ カマキリの目は大きな複眼が2個。小さな単眼が3個。
それに複眼の中に偽瞳孔が1つずつ。(これは複眼に一部が黒く見えるだけのもの)
たくさんの目がありますが、一体、何を見ているのでしょうね?
きっと色々な見方が出来るんでしょうね!
今日も暑いですね~。
皆さんお変わりありませんか?
無理は禁物! 工夫して、お過ごしください‼
相変わらず、今日もダルイですね~! 眠いですね~‼
点滴してから、ちょうど1週間、そろそろ回復期ですが、
今回はどうでしょうか? まだ少し体重も重い感です。
ところで、皆さんは本を読みますか?
自慢じゃないけど、私はあまり読みません。
本を読む人は、
知識量も多く、豊富な知識の中から発言する。とか、
本を読む人は、物事の違いを知り、
色々な意見があることを承知した中で、自分の意見を言う。
とかと、言われますね。
言い換えると、本を読まない人は、
・・・ということになります。
「ということになる」というようにぼやかしたのは、
表現が出来ないからではありません。
暗に推測できるからです。
特に本を多く読む人にとっては、
いとも簡単な謎解きであろうし、
本をあまり読まない人だって、
そんなことぐらい見当がつきます。
要は、分かればいいのですから。
そこに知識の多さなんて、基本的に関係ないと思うんです。
本を読む人と、あまり読まない人との差を聞くと、
自慢話程度にしか聞こえないことが、多くありませんか?
それに読まない理由が、もう一つあります。
それは、物書きをするとき、本を読んでいると、
その知識が、邪魔になることがあります。
どうしても、文脈が、内容が、いつか読んだ本に似て来る。
これを“受け売り”と言うのでしょうが、
時と場合によっては必要なものの、
大抵の場合は、書かない方が良いと思ってしまいます。
書や絵画、そして写真、あるいは日常に必要なことなどは、
見て真似から入る場合が多いですが、
それは実際やってみないと、分からないからです。
やっているうちに、
少しずつ変化して、次第に自分のものになって行く。
この“自分のものになる”ということが、その行為が、
ひどく必要であって、
とっても大切なことだと思っています。
ところが本の場合は、それがなかなか難しい。
どうしても引きずってしまいます。
それは、同じ文字というもので、
表現しなければならないからなのでしょう。
ですから、どうしても本が読みたいときには、
内容を疑いながら読みます。
私は、天の邪鬼(あまのじゃく)だから、
そういう読み方しか、出来ないのかもしれませんが、
そうすることによって、
色々な人がいて、色々な意見があって、
色々な生き方が在ることぐらい分かります。
・・・それでいいではありませんか。
さてさて、あなたはどっち派???
・・・もちろん、どちらでもない方が、
おいでになることも、重々推測できますので、
そこは、御自由にどうぞ。
・・・あなたの、想い次第ですから‼