78.【これも、・・・変遷!】
逃♡現
避♡実
♡ 現実逃避は、エネルギーのチャージの時間。
お相撲の決まり手の「引き落とし」や「はたき込み」、
取り組みの流れの中で、技として使うのは良しとしても、
勝負に出る前から、戦法として意識するのは、
いささか破廉恥で、
引き技はあまり評価されないようです。
この恥ずべき振る舞いとして、
「逃避」という行動があります。
困難をさけ、のがれること。・・・つまり、
積極的に取り組まず、
さけたり意識から排除することのようだ。
こう言われると、
やっぱりしない方が良いと思っていました。
だが、最近、
「逃(に)げる」と「逃(のが)れる」。
「避(さ)ける」と「避(よ)ける」。
こう読み返してみると、
逃れてもいい、避(よ)けてもいい。
場合によっては、
逃げてもいい、避(さ)けてもいい。
・・・そんな風に思えてきました。
「逃(に)げる」のではなく、「逃(のが)れる」。
「避(さ)ける」のではなく、「避(よ)ける」。
それのどこが悪いのか。・・・?
「逃(に)げる」、「避(さ)ける」、としたとて、
それのどこが悪いのか。・・・?
自分の意志とは別に、そうなってしまった行動、
あるいは、非常事態の下での「緊急避難」的行動などは、
どんなに悲しい結果を、招いたとしても、
受け入れ、認めざるを得ない行動ではないかと思うのです。
負けるが勝ちとまでは、言いませんが、
要はそういうこと、戦わずして勝ち残る。
「なぜそのことが悪いんだ」と、
開き直ることも、また良しと思うようになりました。
生きていなけりゃ意味がない、
・・・ということの、表れでしょうか?
生きているから戦える、
・・・ということの、表れでしょうか?
一度、何でもありのテーブルに何もかもぶちまけて、
そこからチョイスすればいい。
基準は、これからの必要なもの。
一度、何でもありの種を大地にばら蒔いて、
芽が出た菜をチョイスして食しても、
残ったものが誉になればそれでいい。