65.【さっき、・・・どこかで?】
🙈 🙊 🙉
🙈 🙊 🙉 ♡ 人の生き方を説いた「三猿」。
♡「見猿、言わ猿、聞か猿」は、悪いものにはふれず、良いことを受け入れて、
素直に育って行こうという幼少期の姿。
どこにいても、どこに住んでも、
時は同じに流れますが、
その時々を、どう受け止めるか、どう感じるかは、
その人、その人、それぞれです。
その時の事々は、みな平等に与えられますが、
その事々をどう受け止めるかは、人それぞれです。
物は、事は、与えるもの側の価値ではなく、
受け取る側の価値である。それは間違いがない。
・・・だとすると、
幸福感は、人に評価されるのではなく、
自分で評価すればいい。自分で思えればいい。
受動態から能動態への脱皮、「物」ではなく、「気」だ。
それを地で行っているのが「世界一幸せな国」ブータンだ。
「経済的な豊かさではなく、精神的な豊かさを重んじる。」
そういう、「GNH・国民総幸福量」が物差しです。
「一日3食、食べられて、寝る処があって、
着るものがあるという安心感」、
それらがあれば、満ち足りていて、幸だと思える「幸福感」。
そういう考え方が、本来の「人」に一番近いと思います。
調味料が無ければ、貸し合う。
トッピングが無ければ、貸し合う。
店が終われば、店の前でビールを片手に、明日を語り合う。
今でもそんな商店街が、存在すると聞きます。
何ともホッとする話題であります。
でも、これは、向こう三軒両隣の原風景であって、
言ってしまえば、当たり前の時代がありました。
お互いを家族のように思いながら、
助け合い、支え合うような関係は、普通の光景でした。
そんな時間を懐かしむのでなく、作り出して欲しいのです。
今から44・5年前、「団塊」という言葉を、
間違えて使ったのではないか、と思われる事件が起き、
今では、何の気にもせず、使いまくるようになりました。
小説家だけではありません。
内閣府や各省の白書、
それにNHKなどの報道機関も使っている。
まるで、年金、医療などの社会保障の課題の、
お荷物であるかのように、悪者扱いをしているのです。
この年代に生まれた人たちは、
決して「かたまり」ではありません。
それぞれに、ユニークな個性を持っています。
そのことを、忘れてもらっては困るので、
一筆認めておきます。
ところで、この「幸福度」という考え方、
最近、特に気に入るようになりました。
環境が、そうさせているのかもしれませんが、
そう感じたほうが、自然で楽だからです。
至極、小さな幸せを、いっぱい感じられる。
そんな人間でありたいと思うのです。
愚痴を言わず、物事をプラスに考え、
一日3食、食べられて、寝る処があって、
着るものがあれば、それでいいではないか。
・・・ん、?・?・?
さっき、どこかで、愚痴を聞いたような気がする。
・・・(笑)(笑)(笑)‼