200.【族ではなく、仲間。集団かな!】
♡ 最近のスイカは、種もなんですが、皮もありません???
今日は、何の音も聞こえない。
雨の音も・・・風の音も・・・小鳥のさえずりも!
人の気配も、車のこだまも、小川のせせらぎも。
オット!・・・ここはどこだ?
俺は!・・・何をしている?
ボケ~っとして、何もしていない自分に焦っている証拠だ。
ただ、カチコチと時計の時を刻む音は、
何の感情も持たぬまま、
せっせ、せっせと、無機質な音を刻む。
ああ! まだ生きている。
そんなことをまざまざと、気付かせてくれる音だ。
でも、何~もすることがない!
一見、贅沢にも聞こえる、不幸な“常態”‼
いや、こんな時は焦っても、何にも起こらない。
腹をくくってやり過ごすことが、賢明と承知する。
ポッカ~~~ン‼
そっと目をつむって、こらえていると、
色々な人の顔が、浮かんでは消え、消えては浮かびます。
そんななか、
記憶に残る人は、他者とは何か違っていました。
私には無いものを、持っていられた、
やっていられたことは、勿論ですが、
それだけではなく、
揺れ動かぬ信念みたいなものを、お持ちであった。
人が何かをしようと思うと、
賛成する人と、反対する人が必ずいます。
それは、至極当然のことで、
それぞれその人の立ち位置が、違うわけで、
同じことが成されても、
結果が得をする人と、損をする人が現れます。
ん! ・・・「損得」?、
・・・いや、「善悪」、・・・いや「尊徳」‼
まあ、理屈はさておいて、
要は、
そういうことをひっくるめて、その人自体を納得できる人。
そういう人の言動に、ついて行くことが出来る人。
そういう“信じられる人”は、何人もいない。
いわゆる、「惚れ込める人」・・・です‼
でも、そういう人は、やはり強烈に思い出される。
何人でもいい、そういう人を見付けること、
何人でもいい、そういう人を育てること。
若者は、未来を語り、年寄りは過去を語る。
・・・納得なり! 而して、まだまだ未来も語りたし。(笑)
人は、人して、スマートに生きたいと思うのです‼