123.【フトとは、発見そのもの!】
♡ 見えますか?・・・透けて見える天空!
その分、山が大きくなりました。
今日も日差しが強く、散歩に出ようか迷った。
予報では、黄砂も飛来するような話もあった。
それでも、めげずに、外に出て歩き始めた。
少し歩くと、首筋に日が当たり、ヒリヒリした。
何という陽気だ。やはり少し病んでいる。
散歩の途中で、ふと見上げた時、
山の頂きのそれこそ十数メートルも下った所に、
ポツポツと幾つかの青い斑点を見付けた。
「何だろうか」とボーっと眺めていたが、
しばらくして焦点が定まった時、ビクッとして目を疑った。
何とその斑点は正しく「天空」そのものであった。
「アッ、空だ」と思わず驚きの独り言を放ってしまった。
この「青」は紛れもなく「天」が、
透けて見えていたのである。
その気になってよくよく見れば、
山の頂きのあちらこちらに、
山の向うの「天の青」が見えている。
きっと、私が生まれる前から、
そこには「青」が在ったのだろうに、
こんなかたちで「天」を見付けるのは、初めてのことであり、
嬉しさと同時に、時の流れを思い知った瞬間であった。
山の木々たちが春の息吹と共に、
毎年少しずつ大きくなって、この木々の成長に合わせ、
「山」自体が、大きく成っていたことになる。
この「天の青」は、その証であるのだ。
永い時間を掛け、確実に山そのものの成長がそこにあった。
勝てない、自然には勝てない、完敗である。
そんな自然の大きさを、思い知らされた出来事であり、
驚きそのものであった。
その自然の中に、自分も居るんだということを、
知ったのは、それからしばらく経ってのことである。
これもまた驚きであったが、
それは自然との融和におぼれた心地よい出来事であった。
これが「ふと見上げた」結末だとしたら、
それはそれとして、たまには頭を持ち上げてみるのも、
面白いと思いますし、何か、ちょっと得をしたような、
気持ちになったりはしませんか。
「フト」とは、そういうものだと思います。
大海に流れ込む母なる河の本流、
その大河の支流を訪ね、小川のその先の源流、
その先の湧水の一滴を、
ゆっくりと集めて呑んでみたいような、
そんな気持ちに、ふとなったりしたことはありませんか。
「フト」とは、「発見」そのものだと思うのです。