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154.【自分で決めて、いいんです】
♡ エビネにも色々ありますが、
私は素朴な「地海老根(ジエネビ)」が好き。
日差しが傘になる木を切ってしまったので、心配していましたが、
自分で住みやすい所へ移動するとも聞いてほっとしています。
静かな・・・夜半!
静かな・・・夜明け!
静かな・・・朝方!
静かな・・・昼下り!
静かな・・・夕刻!
色々な時があって、色々な事がある。
そんな一つ一つに、一喜一憂して、右往左往の大騒ぎ。
落ち着いたならば、事を篩(ふるい)にかけて、
一つ一つ吟味して、しかと行方を見定める。
悲しい思い出は、始末すべきと、忘却の彼方へ。
嬉しい思い出は、取っておくべきと、確かな箱の中へ。
苦しい思い出は、返すべきと、返却の箱の中へ。
悔しい思い出は、頑固に活用すべく、勝者の金杯の中へ。
人が生きて行こうとすると、
それこそ色々な場面に出会い、色々な思いに行き渡る。
悲しいことは、嬉しいことにつながることも多く、
悲しい部分を早く切り離し、
嬉しい事を迎える準備を進めること。
苦しいときは、困った時。色々人の恩義を受ける時であり、
苦しいことの端々まで嚙み砕き、
次は助ける身と準備を進めること。
そんなことはみんな知ってるよと、お思いでしょうが、
そんなことが分からなくなるのが、気落ちであって、
気落ちになると、
底なし沼に落ちたように、地に足がつかなくなり、
自分の行方も定まらないし、対処方法もまとまらない。
「難しいことは簡単に考え、簡単なことは難しく考えろ」
なんて、言われます。
それでいいんじゃないかと思います。
つらい悩み事なんか、
いくら考え込んだって、結論なんか出やしません。
真剣に悩む人より、まったく意に介さないような人の方が、
ストレスもなく、長生きしているような気もしますし、
深く考えず、さらりとやり過ごすくらいに人の方が、
立ち止まる必要もなく、
楽しく過ごしているような気もします。
真剣に悩まず、「軽く受け流す」ということは、
何も考えず、何もかも放り出す「投げやり」ではなく、
もう一つの「やり方」、もう一つの「取り組み」なんです。
そういう取り組みがあっても、いいではないですか。
そういう取り組みを認めるのが、
新しい「取り組み」なんです。
新しい取り組み。
角度を変えた取り組み。新しくて古い取り組み。
・・・それは。
『今は新型コロナウイルスで、手一杯でしょうが、
同じくらいに癌治療にも、時間をください。
癌も死亡率がとっても高い病なんです。』
・・・これを、「例え話」としてもいいんですが、
要は、そういう考え方で、いいんだと思います。
自分が一番大切という考え方で、十分だと思うんです。
自分が大切だから、人も大切に出来る。
それでいいんです。
それが問題解決の糸口になるんです。
やってみる価値アリなんです。
消防士が、まず自然災害から身を守る。
医療従事者が、まず新型コロナウイルスから身を守る。
だから、やる事が見える。その後の対応が見えて来る。
だからこそ、実際、人を助けることが出来る。
・・・そういうことでは、ないでしょうか。