癌と付き合う Simojiさん(折々の想い)

お役に立つかどうかは分かりませんが、折々の想いを

776-2023/01/06

 

 ここのところ、心配していた副作用は出ていません。これは意外なことのように思えます。抗癌剤を飲み始めて2~3日目には、決まって胃が痛みムカムカし始めるのですが、それが今回はありません。

 これは私にとって、とっても素晴らしいことです。

 

 まあ、かと言って全く清々しているかと言えば、それには多少の無理があります。一つ間違えれば、気持ちが悪くなりそうな、ひとつ間違えれば、動きたくなくなるような、そんなぎりぎりの違和感は続いています。

 ですが、このくらいは許容の範囲だと納得して、いや、納得せざるを得ないと言った方が正解かと思います。

 

 爪が割れたり、手が乾燥してひび割れが出来たり、かかとが靴擦れのようになったり、口内炎が出来たり・・・でも、湿疹は今のところ余り出来ていなく、痒みからは解放されています。そんなこんなは近況の報告ということです。

 

 報告と言えばもう一つあります。先日、年越し麵に天津麺を食べに行ったところ、開店時間を優に過ぎているにもかかわらず、準備中の看板が出ていて食べられなかった件ですが、今日、リベンジで行ってみました。

 

 すると、今日は営業中の看板が出ていて、ドアを開けたところ「いらっしゃいませ~!」という元気な声が迎えてくれました。

 

 メニューには天津丼あるものの、やはり天津麺はありませんでした。この理由が良く分からず、思い切って「すみません、天津麺はありますか?」と尋ねると、「前にやっていましたので、出来ますよ」という返事。・・・アリャリャ⁉

 

 「何事も、聞いてみなけりゃ分からん」そう思った出来事でした。何はともあれ、美味しくいただいて帰って来ました。

775-2023/01/04

 

 年が明けましたね~! 早、88時間が過ぎようとしています。そんなこんなで何かめでたいことでも書こうかと思っていましたが、何~にも思い浮かびません。・・・とっても残念です。

 

 そんな日常生活なんでしょうね。・・・仕方ありません。でもそんなふうにはみじんも思っていないんですよ。こんな時、松山千春さんの「大空と大地の中で」なんて曲を聴くと元気が出るんですよね。

 

 ところで、抗癌剤を「正月ぐらいは休んでもいいですよ。」というドクターの言葉が気になっていて、年末の31日に悩みました。確かに休めばとっても楽な正月が送れる。そうは分かっていたのですが、「やっぱり飲もう」そんな気持ちが勝ってしまい、思い切り、そう、思い切って飲み始めました。

 

 「大空と大地の中で」の歌の中に「♪幸せを自分の腕でつかむよう」という歌詞が出て来ます。・・・そんな気持ちでしょうか⁉

 何が幸せか、それは自分の判断であり、自分の行動で決まると思います。

・・・年の初めに「幸せ基準」に思いをはせてみました。

 

 生きているうちは、いつでも「気持ちだけは元気でいたい」それが「幸せ基準」かと・・・。

774-2022/12/30

 

 『幸先詣』なる言葉?いえ、お参りが流行っているようです。コロナの落し子ともいえる奇妙な出来事ですが、正月初詣の新たなスタイルとして、にわかなブームとなっているようです。

 

 で、負けじと『幸先蕎麦』をしようと、近くの中華屋さんに行ったのですが、どうも今日は臨時休業のようで、開店時間になったのにもかかわらず、「準備中」の看板が虚しく揺れていました。

 

 やっぱりお蕎麦でなく、中華麺ではその役をなさないのでしょうか? まあ、気の持ちようだと思って出かけたのに当てが外れてしまいました。

 年を取ると何事も早め早めに済まさないと落ち着かず、ついつい先走って行動してしまいますが、何でも“早ければいい”と藪から棒にやらかすのは、いかがなものなんでしょうかねえ。

 

 待ち合せの時間に遅れてはならじと、ゆとりをもって出発する。途中が混んでいるといけないから早めに出発する。出がけにもたもたしてはいけないので早めに家を出る準備をする。出掛ける身支度に手間取ってはいけないので早めに支度をする。

 ・・・その挙句、何時間も前に到着してしまい、寒いなか待ち続け体調を壊してしまう。これぞ正しく実話に負けぬ「本末転倒」な物語であります。

 

 『待てば甘露の日和あり』・・・あのお店、きっと明日は営業しているんでしょうね!

773-2022/12/26

 

 年末になると、今年の10大ニュースとか、今年の漢字とか、今年の一番・・・などなどが話題になります。

 

 そんななか、「自分の一番のニュースは何だろう」と思い描くのもいいでしょう。『忘年』の言葉どおり、良くなかったことはすっかり忘れて、良かったことだけを取り上げてみましょう。

 

 しばらく色々考えてみましたが、例えば家を買ったとか、車を買ったとか、大型家電を買ったとか、高級な服や身に着けるような装飾品を買ったとか・・・

 そんな夢のような話は一つもありません。皆んな些細な極々小さなことばかりです。・・・やっぱりなぁ! 

 

 それでも一番はあります。どんなにショボイことだらけでも、お気に入りは必ずあるものです。そんな一つ一つを思い起こしてニヤニヤするのも良いでしょう。それが夢であり、感動というものですから。

 

 工業デザイナーやイラストレーターでもあり、JR九州の旅客列車のデザインを多く手掛ける「三戸岡英二」さんは、『感動体験が無いと人は成長しない』とおっしゃっています。

 

 「感動体験」をとおし、子どもは自己肯定感(ありのままに受け入れることができる能力)や自己効力感(自分を信じる力)を高めることが出来ると言われているようです。

 

 この『感動体験効果』は、子どもだけのものでもないと思います。年寄りにもいや若い方にとっても大いに役立ち、来年に、そして未来に向かって「成長」の糧になるのではないでしょうか。

772-2022/12/22

 

 人にはLowの時とHighの時があります。それともう一つ、ごくごくフツーの時もあります。このフツーの時が続いていることを安定と言います。

 

 この安定が続いているうちは良いのですが、人の感情はそうとばかりはいきません。良い時も悪い時もあります。でもLowの時もHighの時もそう長くは続かないのですが、Lowの期間はとっても長く感じてしまいます。

 

 人は楽しいこと嬉しいことは、直ぐに忘れてしまいます。それは心に傷が付かないからです。でも、心に傷が付くような、悲しいことや辛いことはいつまでも癒されることはありません。

 

 この長さは回復力に関係があります。ある程度エネルギーの蓄積があれば、そう長くは続かないように思えるのですが、一旦、つまずくとどこまでも転げ落ち、一旦、傷つくとどんどん深みにはまり、一旦、心配事があると悪循環を起こし、なかなか回復せず、その持続は実際の時間よりとっても長く感じてしまうものです。

 

 そんなときはなるべく早く吐き出すことです。そんな時の為に、悩みごとを聞いてくれる人を日頃から作っておくことです。誰かがいてくれることで、ただそれだけの事でも安心するものです。

 

 安心は心の再生には必要不可欠のものでありますし、いざという時には回復力の特効薬にもなるものです。

 

 心配ごと、悲しいことがあったら、『どうしようもないこと』などと諦めず、先ずは吐き出してみることです。吐き出してしまうことです。

 

 「緊張」は必要ですが、「不安」は、・・・『害』でしかありませんから。

771-2022/12/17

 

 今日はとっても寒いです。・・・『も』と言った方が良いのかも知れません。毎日が寒いのですが今日は特に寒い。エアコン設定温度22℃、室温18.4℃。外気温・・・不明! 計る気力がありません。

 

 それでも、思案した挙句、散歩には行って来ました。いっぱい着込んで、マフラーをして、手袋をして・・・それでも歩く発熱エネルギーを超えて、寒さが忍び込んで来ました。

 

 こんなスタイルが日常となりましたが、ふと昔を思い起こすと、もっともっと薄着で過ごしていたような気がします。生きようとするエネルギーは減ってはいないと思いますが、やっぱり生きるエネルギーが消耗してしまったのでしょうか。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、何ともうら悲しい様な妙な妖気に襲われ、ブルブルッと身震いしてふるい落としてやりました。

 はたから見ると滑稽に見えるかもしれませんが、本人はいたって真面目です。・・・オット!身震いは自然現象のようです。

 

 カタカタと打ち出していたプリンターが、「インクがなくなったようです」と表示され、パタリと止まってしまいました。こういう時は、プリンターの表示画面の「OK」を押すと、しばらくは何の問題もなく使えます。

 

 が、いよいよ色合いがおかしくなって来たので、近くの家電センターで買い求めることにし、車で出かけようとしたところ、外気温が7℃を表示していました。

770-2022/12/14

 

 今朝は快調・・・とまではいきませんが、昨日のような悪夢は起こりませんでした。ただ、胃に多少の不快感があります。胃酸が出過ぎているように思いますの、次回の外来で相談してみたいと思います。また胃潰瘍で入院なんてことは避けたいと思いますし。

 

 散歩にも行って来れました。散歩は愛孫の登校時間に合わせ、というより、

食後の血糖値スパイクを起こさないため、その時間に合わせて出かけるのですが、どうせ散歩するなら愛孫と一緒にと思いました。

 

 ですが、どうもほかの親たちがついて歩かず、私だけがついて歩くのは愛孫にとっては具合が良くないようで、そんなことを聞いたこともあり、朝の挨拶だけして愛孫の登校路とは逆の方向に歩き始めていたのですが、それも何か不埒なことのように思え、少し離れて見守りながら歩くことにしました。

 

 愛孫たちは、そのことを気付いているのかどうかは分かりませんが、特に何も言わないので、しばらくそのコースを歩いてみたいと思っています。大きな交差点を無事に渡り終えたのを見届け、不足の距離をトボトボと一人歩き帰路についています。

 

 ・・・ルーチンがこなせるということは、実に安心するものですね。